20221213
私のこと嫌いな人が出てくる夢
20221129
下北沢ニテ
20220930
ラブライフ
ラブライフの素晴らしさの一つとして今ふと思ったことがあって、しかしながらこれがどのくらい観客に感銘として波及しているのだろうか、波及の結果として言及がされているのだろうかという疑問をもった。それは言い換えれば映画としていかほどの効果があるのかという疑問で、なぜならば映画がテクノロジーの産物である時点でキャメラが撮影して編集してひとたばの時間になった過去の光景の中のすべての意味は観客どころか作者たる監督にも分からない時というのはままあって、ままあるがそういう時は大体分からないままエーイやったれとやってしまう方がいいのだが、ともかくフィクション映画の骨子である「ストーリー」と撮影された「現実の風景」には本来的には文字通り異次元の相いれなさがある。その相いれなさの曖昧な折衷点をなすというのが成立した瞬間から矛盾し破綻している芸術としての映画だと私なんかはかぶれ気味に思うけれど、逆に言えば周到に現実っぽさの皮を被りながら現実そのものを排除されて制作されている映画の中で、"相いれなさ"が露出する瞬間にこそ映画的だ!というまさに映画でしか味わえない感動がある。そしてそこには作者の意図が介在しない。
で、冒頭に書いた「ラブライフの素晴らしさの一つ」というのは、後半の旦那の独白における猫の運動で、なんでその猫にこんなに感動しているのかというと「この人の閾」読んであらためて「書きあぐねている〜」をまた読んでいるからなのだが、プレーンソングにおいて保坂和志が文学の潮流に対して挑んだ実験というのが、まさにそのシーン、そのショットにあるじゃないかと思い出したからだ。
保坂和志は映画にならないとぼんやり思っていた私にとっては、青天の霹靂の思いだった。
20220919
全体講評の時に高橋洋監督が「ミラキュラスウィークエンド・エセを一番に推した」と話してくださった時、私は2020年の冬のことを思い出していた。それはコロナが始まるほんの少し前、雪のチラつく朝七時、中野のベローチェで「映画の授業」を読みながら高橋監督の書かれた章に必死に赤ペンを引いていた時間のこと。
今もキツいままだけど今よりもっと映画にまつわるあらゆることがわけわかんなくて深刻にキツかった頃だ。
私は映画が好きで(映画が好きという言葉にすら畏れ多さを感じる)、その"映画が好きだってこと"を(変な言い方だけど)認めてもらいたさというのがやはり、どうしてもあって、それでも全然周りの誰より映画観てないし、「わかってない」ってやつなんだろうなぁ……というシオシオな気持ちがある。劣等感みたいなものだろうか。
そういう私の作品を、私が考えるところの"巨大な映画人"のお一人である高橋洋監督に「一番推した」と言ってもらえて、こんなに嬉しいことはない。少しだけ自分の肩もんであげたい気持ちになる……
20220909
十三期
いつかラジオでポコやんが 「家では暗いし一言も話さないですよ」と言ってたけど、いつか現れるであろうポコやんと結婚する人というのはそんなありのままなポコやんでいられる相手になるのだろうか?そんなポコやんですら笑顔にさせてしまう相手になるのだろうか?みたいなことだけを考えていた一週間が私にはある。
最強百合カプと評される十三期の二人だが、はたして加賀がそのどちらのポコやんをもすら成立させうる相手だったのかといえば私には分からないし、最強百合カプと評していたのは所詮外野たるファンでしかない。ポコやんの、知ってか知らずか個人的な想いを載せずにあくまでメンバーの一人ないし同期(の一人)として綴られたブログに、強い自制を感じせしめられるのは私もまた外野たるファンの一人でしかないことの証明だけど、ポコやん。ポコやん。これからポコやんが、加賀に向ける時にだけ我々も頂戴できていた笑顔は、やはり本当に見られなくなるのだろうか。ポコやん。いつか現れるであろうポコやんと結婚する人には加賀に向けていたのとはまた別の顔を向けることになるのだろうか。ポコやん。たぶんこれからも いやむしろこれからこそ、「わたしは元気担当じゃん!」 の言葉をジャッジメントチェーンに込めて心臓に刺した貴方であるのだろう。そういうすべてを、加賀は分かっているんだろう。ポコやん。加賀。十三期。
かぜのひきかた
20220907
マツイさん、parfait氏、福山さん
香椎さんと酒を呑むためホナqハウスへ向かっていると、前方に完全に松井玲奈さんが歩いており、しかもその足取りは重く、もしかして泣いてる?といった感じである。
やべ〜〜〜〜松井玲奈じゃん!アゲだね。などと言っているうちにホナqハウスに近づくいたところで、松井玲奈さんが崩れ落ちるように座り込み泣き出してしまった。俺たちは慌てて駆け寄り介抱する。これから近所の友達の家で呑むんですがよかったら来ますか?話聞きますよ、と言ってみるが松井玲奈さんが泣きながら大丈夫でず…と言うので、心配ながらも別れた。我々はホナqハウスに到着し、ホナqに「いやー今さっきそこでさぁ」と言うとドアがドンドンと強めにノックされ、「やっぱり話ぎいでぐだざーーい」と泣き声が聞こえる。松井玲奈さんがやってきた。更にいつからいたのかどのように参加してきたかが思い出せないのだが、私が「会ってみたいな」と常々思っていたでお馴染みのparfait氏(今考えたあだ名・女性)が加わっていた。parfait氏も松井玲奈さんもかわいいので「まじすげー俺得じゃん。アゲだね」などと俺は思った。酒は進み、松井玲奈さんは涙の理由を語る前に楽しそうに布団で勝手に眠ってしまい、parfait氏は突然飛び出して路上でゲロを吐いたり、突然スカートとパンツを下ろして「私はペニバンをしているから大丈夫なんだ」と笑い出したり(本当にペニバンをしていた)と、独特な酔い方をしていた。
夜が更けて朝になり、松井玲奈さんを起こし「もうお開きですよ」と言うと彼女はノロノロと起きた。私はその顔を見て、「てゆーか半田さんってまじで松井玲奈さんに似ていたんだな」などと半田さんの顔を思いだすが、これを書いている今思えばむしろそのときの松井玲奈が完全に半田さんの顔にそっくりになっていて、実際の松井玲奈さんと半田さんというのは類似点のない全く別系統の完全なる他人とは言わないまでも別に特別ソックリでもないのだが、しかし私はその半田さんみたいな顔の松井玲奈さんを「松井玲奈さん」と見做していた。そこで私は寝ぼけ眼の松井玲奈さんに「この写真見てくださいよ、この子松井玲奈さんに似てませんか?」と半田さんがバイクに乗っている写真を見せる(そんな写真は実際にはないし半田さんはバイクに乗らないのだが)。松井玲奈さんは寝ぼけ眼のまま写真を見て、特になんの感想もなく俺に写真をよこしたが、その時あげた顔はほとんど完全に半田さんであった。
帰り道、「松井さんも西荻に住んでるんですか?」と尋ねると「そうだよ〜」と彼女は答えた。じゃあまた呑めるなと俺は思った。
駐車場?にさしかかると松井玲奈さんは紫色みたいな濃さのピンク色をしたバイクを持ってきた。2ケツしようと言う。芸能人なのに見つかったらどうするんだろうと俺は思うが、人生初めての2ケツを体験する。松井玲奈さんの細い腰に腕を回しながら、俺は時速60キロのスリルと共に、恋の予感を感じていた。
家に帰ると(なぜか実家だった)、福山雅治さんとイトコ姉弟がいて、しかしもう帰るところだと言う。あなたも送って行けと親に言われ、なぜ?と思いながら、表に停めてある車に乗る。運転席にイトコ姉が座っている。福山さんが運転しないんだとややウケてしまう。発車した車の後部座席で、さっきまで松井玲奈さんと2ケツした景色がさっきと同じくらいのスピードで窓の外を流れていくのを見る。バイクではあんなに風を感じたが、車では何も感じない。そんな安全性と虚無を感じてふとよぎる。これ夢か?夢じゃないよね?夢か? 今日は本当に楽しかった。マジで現実であってくれ。parfait氏とも松井玲奈さんともせっかく出逢えたんだから。夢じゃないよね?昨日何してたっけ。やべ、穂波と呑んだな。今日のこれ夢か?いや!いや!
20220902
ダンプスターガール
20220831
2022.8
20220818
そんなものか、人生なんて!
20220805
青空娘
ただ現在目の前にいる人を普通に愛する、そんな簡単なことがどうしてできなかったの?という質問があって、その答えが「あの頃は若かったから」というのは、つまり未熟だったということであり、それは言い換えれば何かしら筋の通った理屈や納得できる理由があるのではなく"誤った"にすぎないということだ。しかしそんな気軽な誤りからすら血縁というものは生まれてしまい、血縁というのは非常に強力な絆である。
『リーガルハイ』の子役の話(私はあれがリーガルハイで一番好きなのだが)とオチが同じなのでもしかすると古沢良太は『青空娘』を下敷きにあの話を書いたのかもしれないが、いずれにせよこの"手を離すことによって他人になる"というのは"絆"を美しいものではなく呪縛であると見做して幸せのため問題解決をするのでは間に合わない、というひとつの世の理を示しているのかもしれない。
絆を断ち切ること、繋がれた手を離すこと、他人になること。そうやって生きていく。
青空はいつも綺麗だけど別れを告げる。
想い出はいつもキレイだけどそれだけじゃおなかがすくから。
20220731
2022.3〜7
20220724
三十歳
https://booklog.jp/item/1/4003247213
20220712
20220711
恋は光
この映画を観た後に「殺彼死彼女」の予告編をなんとなく観たら予告だけで泣いてしまって、あの映画にあるような逼迫した何かはこの映画には無かったなと思ったが(この映画には無くていいのだ)、しかしながらやはり小林敬一監督の「殺彼死彼女」に通底するものはちゃんとあったよなと思って、その正体はなんなんだろうと考えていたときにふと市川準に似ているというようなことを思った。そしてそれで腑に落ちた。
市川準は名刺に「人を見るよろこび」と書いていたらしいが、小林敬一の映画にもそれがある。何かと言えば"まなざし"であって、誰かが誰かを眼差すという視線劇の意味ではなく、抽象化された広義の眼差し、つまり「誰かが誰かを想って生きること」と、誰よりも監督がキャメラの手前、つまりキャラクターに対して観客と同じ距離から、キャラクター達のことを、いたずらに接近はせずとも決して目を逸らさず突き放さずに、ただじっとまなざす。その姿勢なのだ。
西条の後ろ姿への長回し、
幕切れの後の宿木、
東雲のラストカット、
随所に配置される北代の無表情。
市川準もだが小林敬一も人を信じている。
いつだって変だよとかくだらないよと他人に言われることにこそ真剣で取り組む姿の、ある種の滑稽さにだけ宿る光があるから。
20220710
ニッキ/こたべ
20220707
ボトルレター
天の川のほとりでボトルレターを拾った。
中身をあらためると以下のような文章が滲み震える筆跡でもってしたためられていた。
脚本なんとか書き終える。
脚本というのは結局、ああでもないこうでもない、あれもあかんこれもあかんと頭を散々悩ませたすえ、(しかしもちろんそれが重要なのだけど)
いざ書くとなればエイヤッといきおいに任せて書いて、撮影行為の中で適宜変更すればよいのだ と、未来の自分に託す手紙のようなものであるので、とにかく「書いた」 「書けた」というその一点のみを以って、私を労い肩を叩きトマポークヴェーゼのひとつでも放って欲しいとそう思う。隔てながらにして繋がっている夜空に。
20220527
柴田聡子「夕日」
20220331
文化荘文化大賞2021
本年度文化荘文化大賞が以下の通り決定いたしました。
◯大賞
舞城王太郎「淵の王」
◯大賞最終候補
保坂和志「プレーンソング 草の上の朝食」
庄野潤三「静物」
三津田信三「怪談のテープ起こし」
SACOYANS「Gasoline Rainbow」
◯選考ノミネート作品
倉里晴「訪問者」
波世側まる「コメント欄には貴族の娘とかいっぱい書いてありました。」
舞城王太郎「淵の王」
JR東日本「スイカ&ライチウォーター」
MOONSTAR「ジャガーエースG」
大江健三郎「人間の羊」
Sweet Trip「Darkness」
親愛なるQに捧ぐ「神様」
三津田信三「怪談のテープ起こし」
マーゴ・ガーヤン「The Hum」
滝口悠生「死んでいない者」
Family Mart「今治タオル」
香椎響子「君はごめんが言えない」
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」
庄野潤三「静物」
保坂和志「プレーンソング 草の上の朝食」
けらえいこ「西反」
EMERALD FOUR「天国から離れて」
SACOYANS「Gasoline Rainbow」
OGRE YOU ASSHOLE「また明日」
PSY・Z「Woman・S」
金属バット「伊佐坂先生の異世界転生本」
ジェラルド・ウェイのライブでモニターに映る自分達に気づくファンの皆
選考者:ワンダフルデイズモーニング、静谷静一、志水あみ、あさくらなおき
選考日:2022年3月31日
選考会場:ドトール西荻窪南口店
◯選考者コメント:ワンダフルデイズモーニング
今年度は過去の中で最も早くその選考が終了した。しかしそれは純然なる喜びに満ちていたのかというと、そういうわけでもない。少なくとも私個人の見解であるが。「淵の王」が圧倒的すぎた。これまでの私(達)の価値観を揺さぶり、激励し、希望を与える。これからの人生に大きく影響する。そういう作品であった。ゆえに、「淵の王」が出てきた時点でほとんど大賞は決まってしまったと言っても過言ではない。そのことが“純然たる喜びに満ちていたわけではない”と私が申し上げるのは、つまりその圧倒的感動によって、他のノミネート作品がどうやっても勝てなくなってしまったからである。そのことは他の作品の“低さ”というニュアンスを持たない。それがもどかしいのである。少なくとも大賞最終候補に並んだ作品群は、例年ならば大賞を獲るにしかるべきである。
◯選考者コメント:志水あみ
人生に影響を与える作品というのはそう何度も出逢えるものではない。「淵の王」はその一点において大賞に相応しく思った。むしろ我々が苦心したのは、ノミネート作品群から最終候補を選出する段階にあった。“決着のついた後の選考“のような作業には、どこか出来レースを行なっているんじゃないかという自己嫌悪に近い後ろめたさがなかったかといえば嘘になるが、しかしむしろ最終候補の選考こそが豊かな時間を我々にもたらしたようにも思えるから不思議である。前年の例を出すまでもなく「我々は今年度もたくさんの素晴らしい文化に触れたのだ」という極めて原始的な感動があった。個人的には、鑑賞という行為において“恐怖“を感じることがほとんど不能のニュアンスで稀な中、はっきりと「これは怖い」と思った唯一である「怪談のテープ起こし」が強く印象に残っている。
◯選考者コメント:静谷静一
大賞である「淵の王」のことは他の選考者が語るであろうし、そうでなくとも今年度の文化大賞において「淵の王」について語ることはあまり意味を成さないように思える。「淵の王」以外の作品について語ることこそがこの文化大賞には意義深いのではないだろうか。「プレーンソング 草の上の朝食」は、二つのどちらか一方を選出することは無意味であると思われたので、講談社文庫「プレーンソング 草の上の朝食」その一冊が一つの作品としてカウントされた。逆に「静物」については、私は「プレーンソング 草の上の朝食」と同じように、作品集である新潮文庫「プールサイド小景・静物」をノミネートしても良いように思ったが、その中の「静物」だけが選出された。この二つの事案は面白いと私は思うし、そのことと大賞である「淵の王」を結びつけることは可能であると思う。これら三つの候補作が選ばれているのは通底する理由があるだろう。しかし、やや複雑になるが、“我々の中“に通底するナニカに、この三候補作品が同じようにヒットしたということである。それは我々の今の気分や嗜好と言い換えることもできるかもしれない。そう考えれば、(この文化大賞における)選考などというのはわりにいい加減な行為に思える。やはり権威などはいらないのだ。
◯選考者コメント:あさくらなおき
大賞が決まってからの時間が長かった。集まってすぐに大賞が決まったので今回は楽だったと思ったが、そういうことでもないっぽかった。
20220301
いいことがもうれつにやってくる
20220210
プレーンソング・草の上の朝食
20220201
唾棄しめて今夜
20220123
プールサイド小景・静物
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スツールの籐椅子が欲しい。 以前そこさくで山﨑天ちゃんも籐椅子が欲しいと言っていて、たぶん俺は豆腐ごはんか納豆ごはんかカレーかソバを食べながら(その四種類ばかりを家で食べるから)「いやぁ!わかる!!」と声に出して十代の天ちゃんに文字通りの共鳴を果たしたものだ。 あぁ、籐椅...
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いちいち過ごすには永くて、いちいち振り返るにはみじかいひと月が終わって今度は過ごすにあたってみじかい日々。毎日U-NEXTで昔の「名探偵コナン」テレビシリーズを観て、毎日何時間かはドトールに行って腕組みしたり居眠りしたり音楽を聴いたりケータイ弄ったりする。それでもプロットをい...
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iPad Proの待受──アプリアイコンが並ぶ画面の壁紙も待ち受けというのでしょうかね、 その待ち受けというのか壁紙というのか曖昧なものを最近デフォルトから変更した。 私が変更設定したのはインターネットから拾ってきたある一枚の写真。 昼の大きな広場の大きな噴水の淵に一組の男女...