20220731

2022.3〜7

3月
ファムファタールMVの準備と排気口新作公演ティザーのための短編映画「電話」の製作期間がモロ被りし、てんてこまい。
更に肉汁サイドストーリーと排気口の舞台映像を撮影しに行くのも重なって、休みが全くない状態になる。
ピンチ!ピンチ!ピンチ!の連続だったが、それぞれの関係者の尽力によって乗り切る。本当に記憶がないくらい目まぐるしかった。更にコンペの締切もあって、大変でした。

4月〜5月
うってかわって閑。やっと会えたね閑という感じ。
久しぶりにちゃんと読書。
ものづくりブランド「おもいでのはとば」のグッズ撮影をする。
排気口「後ろに近づく淋しさ以外は」舞台映像を編集。
ミラの試写をする。
カナザワより連絡あり。救われる。

6月
読書。小説を書く。2章まで書いて、ゆきづまる。この後の展開は大雑把には考えてあるのだが、いまいち気が乗らないのだ。
h1という機材を購入。

7月
排気口新作公演のティザーのため、短編映画「悲しみの果てに何があるかなんてアロエは知らない」を作る。今までの短編で一番苦労した。苦労したというか、何もスジが思い浮かばず、タイトルになっているダジャレだけが頭にぼんやりとあった。というかそれしか手持ちのカードがなかった。
戦争 をテーマにするということだけがお題としてあったので、山中貞雄の出征について偽史をでっちあげるかぁ…と〆切もキャストも決まってしまったところでようやく腰を上げ、2日でシナリオを書く。撮影も歴代一しんどかった。言い方が悪いが、エネルギーがなかった。それでもなんとかエイヤッと撮ったけど、あれはもう味わいたくない。思い返すと普通に体調がめっちゃ悪かったんだと思う。調べたらブレインフォグという症状だった。
完成した作品は、周りに「これまでの短編で一番よかった」と言ってもらえた。個人的には、h1のテストを兼ねていたので、h1がかなりいい感じに使えることがわかり、それが収穫だった。
iPhoneで音を録るのはもう卒業だ。

アロエ完成後すぐ、りっちゃんとカナザワ上映用のミラの整音。知らないことが多くて反省。整音についてはもっと勉強せねば。

20220724

三十歳

うるせ〜〜!!!!!!知ら
ね〜〜〜〜!!!!FINAL
FANTASY
なのである。死にて〜と嘯く二十代までを超えて、三十歳になるということは、死にて〜とかではなく、
うるせ〜〜!!!!!!知ら
ね〜〜〜〜!!!!FINAL
FANTASY
なのである。脳が灰色になって、カチカチになって、感情の振れ幅が狭まっていく感覚。

うるせ〜〜!!!
!!!!知ら
ね〜〜〜〜!!!!FINAL
FANTASY


『三十歳 (岩波文庫)』 インゲボルク・バッハマン 
https://booklog.jp/item/1/4003247213

20220711

恋は光

 この映画を観た後に「殺彼死彼女」の予告編をなんとなく観たら予告だけで泣いてしまって、あの映画にあるような逼迫した何かはこの映画には無かったなと思ったが(この映画には無くていいのだ)、しかしながらやはり小林敬一監督の「殺彼死彼女」に通底するものはちゃんとあったよなと思って、その正体はなんなんだろうと考えていたときにふと市川準に似ているというようなことを思った。そしてそれで腑に落ちた。

 市川準は名刺に「人を見るよろこび」と書いていたらしいが、小林敬一の映画にもそれがある。何かと言えば"まなざし"であって、誰かが誰かを眼差すという視線劇の意味ではなく、抽象化された広義の眼差し、つまり「誰かが誰かを想って生きること」と、誰よりも監督がキャメラの手前、つまりキャラクターに対して観客と同じ距離から、キャラクター達のことを、いたずらに接近はせずとも決して目を逸らさず突き放さずに、ただじっとまなざす。その姿勢なのだ。

西条の後ろ姿への長回し、

幕切れの後の宿木、

東雲のラストカット、

随所に配置される北代の無表情。


 市川準もだが小林敬一も人を信じている。

いつだって変だよとかくだらないよと他人に言われることにこそ真剣で取り組む姿の、ある種の滑稽さにだけ宿る光があるから。

20220710

ニッキ/こたべ

/ニッキ
私はニッキの味も好きだし
ニッキという文字の並びも好きだし
ニッキという発音アクセントも好きだし
漢字表記にしたら親しみを覚えるし
とにかく好感を覚えるのだ
"ハッカ"もそうなんだが。

/こたべ
「こたべ」と「生八ツ橋」の違いはわからないけど、
こたべという文字の並びも好きだし
こたべというフォントも好きだし
こたべのパッケージも可愛いし
なによりおいしかった。うれしかった。

20220707

ボトルレター

 天の川のほとりでボトルレターを拾った。

中身をあらためると以下のような文章が滲み震える筆跡でもってしたためられていた。


脚本なんとか書き終える。

脚本というのは結局、ああでもないこうでもない、あれもあかんこれもあかんと頭を散々悩ませたすえ、(しかしもちろんそれが重要なのだけど)

いざ書くとなればエイヤッといきおいに任せて書いて、撮影行為の中で適宜変更すればよいのだ と、未来の自分に託す手紙のようなものであるので、とにかく「書いた」 「書けた」というその一点のみを以って、私を労い肩を叩きトマポークヴェーゼのひとつでも放って欲しいとそう思う。隔てながらにして繋がっている夜空に。