欲しかったヘッドホンを買った。いつから気になっていたのだろうと心の古文書を紐解き褪せたページにもとめればどうやら2023年の年末あたりらしいので、歳余を超えて逡巡していたことになる。珍しいことではない。
ヘッドホンの相場なんてわからないが、カッコかわいい姿かたちの脳裏に浮かぶにあわせGoogle検索窓に名前を打ち込むその都度あらわれる身の丈に合わない数字の並びにピヨってた日々のなか、その身の丈に合わなさを諦める理由の筆頭に置いて忘れよう忘れようとつとめた。本末転倒のルーティンは永く続いた。それも終わりだ。
〈欲しい〉という欲求は片想いに似てるなんて安いこと言うべくもないけど、何かへ向かう気持ちや欲求はロマンチックである方が望ましい。
〈欲しい〉という気持ちや欲求のどのような点にさだめてその純度の質を測るべきかと考えてみると、どれだけ〈別に必要ではないか〉だと思っている。何かを欲求するにあたり〈必要〉という基準を設けると、それは欲求を正当化するために機能してしまう。〈必要なもの〉に私たちは想いを馳せないのだから、私はそれをロマンチックでないように感じる。
「あぁ、また要らないものを……」とか、
「あぁ、別に持っているのに……」とか、
金を払って手に入れる前にせよ手に入れた後にせよ〈別に必要でない〉ものが喚び起こしたストレスへ屈しこうべをガクンと垂れる私たちは、他人から見えぬ角度でこっそり口角をあげている。二律背反が胸うちに鍔迫り合いを演じる時、こすれる刀身から散る火花を私はロマンチックであるように感じる。
これから暑くなる。暑くなる時期に私はヘッドホンをなるべく使わない。なにせイヤホンあるし。せっかく手に入れたヘッドホンの活躍の場がすぐに用意されない。おでかけに伴うにおいてもヘッドホンってデケくて邪魔だし。イヤホンならポッケに入れておけるし。首にかけとくのも絞まる感じするし。イヤホンに何の不満もないし。
こうしていま並べられた私のすなおな心持ちのひとつひとつが、このたび私がいかにヘッドホンを手に入れてピカピカに嬉しいかのあかしなのです。