20220731
2022.3〜7
20220724
三十歳
https://booklog.jp/item/1/4003247213
20220712
20220711
恋は光
この映画を観た後に「殺彼死彼女」の予告編をなんとなく観たら予告だけで泣いてしまって、あの映画にあるような逼迫した何かはこの映画には無かったなと思ったが(この映画には無くていいのだ)、しかしながらやはり小林敬一監督の「殺彼死彼女」に通底するものはちゃんとあったよなと思って、その正体はなんなんだろうと考えていたときにふと市川準に似ているというようなことを思った。そしてそれで腑に落ちた。
市川準は名刺に「人を見るよろこび」と書いていたらしいが、小林敬一の映画にもそれがある。何かと言えば"まなざし"であって、誰かが誰かを眼差すという視線劇の意味ではなく、抽象化された広義の眼差し、つまり「誰かが誰かを想って生きること」と、誰よりも監督がキャメラの手前、つまりキャラクターに対して観客と同じ距離から、キャラクター達のことを、いたずらに接近はせずとも決して目を逸らさず突き放さずに、ただじっとまなざす。その姿勢なのだ。
西条の後ろ姿への長回し、
幕切れの後の宿木、
東雲のラストカット、
随所に配置される北代の無表情。
市川準もだが小林敬一も人を信じている。
いつだって変だよとかくだらないよと他人に言われることにこそ真剣で取り組む姿の、ある種の滑稽さにだけ宿る光があるから。
20220710
20220707
ボトルレター
天の川のほとりでボトルレターを拾った。
中身をあらためると以下のような文章が滲み震える筆跡でもってしたためられていた。
脚本なんとか書き終える。
脚本というのは結局、ああでもないこうでもない、あれもあかんこれもあかんと頭を散々悩ませたすえ、(しかしもちろんそれが重要なのだけど)
いざ書くとなればエイヤッといきおいに任せて書いて、撮影行為の中で適宜変更すればよいのだ と、未来の自分に託す手紙のようなものであるので、とにかく「書いた」 「書けた」というその一点のみを以って、私を労い肩を叩きトマポークヴェーゼのひとつでも放って欲しいとそう思う。隔てながらにして繋がっている夜空に。