20201030

2020.5〜10

5月
毎週何かしら体調が悪くなった。
ある週は喉と頭の痛み、あなたの風邪はどこから?喉と頭〜。
ある週は右側の首(派生して肩)の痛みがやまなかったりした。
毎週3日ほど床に伏せっていた。
それでも病院には行かず、
それでも新型コロナではなかった。
右首の痛みは、やわらいだもののこれを書いている時点でも続いています。


6月1日
神田へ。夜には魚のおいしいお店に連れてってもらった。
先週新宿岐阜屋で久しぶりに会ったコに、俺がいかに鈍い舌をしているかの話をしたら笑ってくれながらも本当に驚かれた、ような、そういう不感症ぎみの舌ですらびっくりするほど美味しかった。


6月2日
ウィダーインゼリーや飴しか食べられなかった先週までと比ぶれば少しずつではあるがご飯を食べられるようになってきた。
昨日の魚は美味しかったなと引き摺るように思う。
こたつ布団を洗濯し、冬物たちと纏めて衣替えを敢行する。
エーガ祭をいくつか調べる。
明日にでも応募しよう。
しかし本当にこういう作業が苦手で情けない。

閉店間際の喫茶店に三十分だけ行く。借りた本を三十分ぶん読む。 「過去の出来事の意味は、その時点の当事者の意識によってではなく、後の人々が「回顧」する事によって初めて作られるのだ。そのとき現在を生きてきた当事者たちにとっては無意識でしかなった何かが、後の出来事の連関によって思いも寄らない重要な意味を帯びて未来からは見えてくる。」
「この二人が悲劇的に運命づけられていながらも、なおそれとは違った未来への可能性のなかにおいても同時に捉えられているからこそ、彼はこの写真の二人の姿に感動したに違いないのだ。人生のさまざまな可能性に向かって開かれたままの状態で結晶化したいる二人の姿に…。」
「実は彼の言う「想起としての歴史」とは、そのもう一つ別の未来の可能性、つまり果たされなかった革命の可能性を、過去の出来事の片隅に見出し、それを現在へともたらすことだと言えよう。」 真木よう子「幸先坂」を聴く。
暗い映画のエンドロールで聴いた以来だと思ったが、いや、思い出せばかつて一度だけ行ったカラオケで椎名林檎の大ファン女子が歌っていた気もする。
しかしながらおれは「幸先坂」を聴きながらそのことを思い出さなかった。だからカラオケボックスで流れていたかどうかは現在からわからない。「幸先坂」の真木よう子の声、しみしみとしていて椎名林檎のセルフカバーより好きです。



6月○日
昨日S木からいつものように連絡があり、それというのは今から新宿の喫茶店に行くから来ないかという誘いなのだけどいつものようにと言いながらコロナ自粛期間中は一度も催されなかった会合なので2ヶ月ぶりの誘いであるのだが、あいにく夕暮れまで勤労していたため叶わずとなった。
そこで今日、昨日のモヤを抱えていたのか普段はそんなことしない俺は珍しくこちらから連絡し、めでたくS木と2ヶ月ぶりに会うことになった。

4月1日から都内の飲食店は原則禁煙、そんな悪い夢の中のようなことが、悪い冗談のようなことがずっと続いている。これからもたぶん醒めないから夢ではない。憩いを追われた俺らのよるべとして残る喫煙可能喫茶はそれでもわずかに残っていて、そこに我々は入った。
俺は世相に本当に疎いので、S木に会ったときには世間で騒がれていることのあらましを教えてもらうことにしている。今日は現政権がなんでこんなに叩かれているのか?とか、検察ってどういう機関なのか?とか、ブラックリブズマターってなんなの?とか、そういうことを教えてもらった。
♪聞くたびに「呆れる」と言ったこと躊躇う気持ちも嘘じゃないよ♪

珍しく俺がコーヒーを奢った。自主的にではないけどそれでも奢った。そんなことは普段はないのだけど。これもだからなんか夢のようだ。

S木が腹が減ったなと言ってくれたらそれは普段は食えないものを食べさせてもらえる確変突入の合図。
しゃぶしゃぶか焼肉ならどちらがいい?と尋ねられ、焼肉を食べさせてもらった。道すがら我々が十代の六年を過ごした学舎の思い出を掘り起こすように喋ったが、お互い意外なほど行事や恩師の名前や教室の位置をおぼえていなかった。マジで思い出せないいくつかはハッピハッピー(あだ名)に電話で問い合わせた。

そうして食った焼き肉は、おれが普段行く店の3倍の単価で、味も3倍美味しゅうございました。
S木とご飯を食べる時はどんな文脈であれかならず恋バナにさしかかる。
恋バナといっても「こういう女子だとありがたいよね」「愛せるね」という内容なのだけど、これも毎度さしかかることながら今回も「お前は結局○○さんの影を追っているのだ」と指摘された。
俺は強く思った。「今やそんなことゎなぃ!」 最終コーナーで我々の共通の女子が俺の預かり知らぬところでものすごく性欲が強いんだぜということを教えてもらったりして、意外ではありつつ興味の海原がマジ凪なのでハンドルをそうなんだ〜と緩めに切って会は終了した。

家路で思い出したが今日は火曜日。
ということは昨日は月曜日。
ということは昨日はおれはお風呂に入ってない。(月曜日はお風呂に入れない契約の家に住んでいるのだ)
これは、と思ってお風呂の支度をしていると、携帯電話が鳴った。
着信であった。相手はおれが影を追ってなぃとした件の元カノであった。

夢?????????????????????????と思ってその夢見心地のままに応答した。
「どうしたの?」
どうということもないんだけど、と話し始めた彼女の話はかいつまんでいうと部屋の天井から一日2回まつりばやしのような太鼓の音が聞こえてめちゃめちゃイライラするというのと台所の排水管から風が吹いてくるのだが何?というクレームだった。
どうしてもブチギレたいけどめんどくさいという。彼女はそのめんどくさいという気持ちを「それって仕事じゃん」と表現した。仕事じゃんって何?

そんなこと言われてもどうすることもできないっていうか仲介不動産に問い合わせろしか言わなかった俺だけど、しかし、しかしね、彼女の声はあの5年前の夜毎の色をしていたんだよ!!!!!「問い合わせろ」と言いながら俺は萌えていたのだ。夢か?とずっと思っていた。
クレームのこともひと段落し、切ろうかなと思ってたら「ところで」と彼女は続け、高校時代の友人がアルファツイッタラーになってたよというどうでもいいけど珍しい話をしてくれ、「パラサイト初めて観たよ、モノクロで」というどうでもいいけど俺の好きな話をしてくれた。薪が用意されてるんならマッチ擦って燃えさかりそうだったけど、こういうオタクの早口言葉は敬遠されると、今日、さっき、鈴木と戒めたのだ。でも関係ねぇよ。と思ったけど彼女がふいに「ちょっと切るね」と言ってきて、「はい」と言ったら通話は終了した。
別に待ってないけどたぶんもうかかってこないけど本当に別に待ってない。
ただ、夢のようだなと思うのです。
この表現はずっと、幸せのメタファーではない。
純然と「現実味がねぇ」と伝えているのです。
さりとてそんな機微、世界の知ったことではなかろうので、ライクアドリームを引用して終了する。 "夢のようなことばかり言ってごめんねマイハニーオー、信じて" 

【補足】
俺も知ってる子だが、アルファツイッタラーの旧い友人はきゃべつ*郎という名前でTwitterをやっているそうです。覗いたが、マジ優雅でした。


6月*日
美味しいものを食べたい、という欲求が俺には分からない。これはその欲求への非難ではない。
いや、俺にも「美味しいものを食べたい」という欲求はある。しかしながらそれはどちらかといえば「美味しくないものはなるべく避けたい」という程度の、とても消極的で不精な態度の方が的確と思う。
俺は羨ましいとしんから思っている。
美味しいものを食べたい、というかなり原始的な欲求を持ち、たとえば讃岐へうどんを食べに向かう人たちを。
それは、俺が体感したことのない晴れやかで前向きな気持ちであろうから。金銭面を除けば隙のない、そしてたとえば友情・恋愛・孝行が付随することだってあるんだから全方向に良(りょう)じゃん。
彼岸の彼らを眺めながらの俺はといえば。毎日うどんかそばを食べている。
というか。
いよいよ米も炊くのが億劫になってきた俺の自炊生活の、最果てにあるのはうどんかそばなんだと自分でせつなくなるほどうどんかそばしか食べてない。
非難の有無ということでいえばいわれはないが自分で思うね、ろくなもんじゃないです。
はたしてそうでしょうか?
ええ、ろくなもんじゃないです。
本当にそうなのでしょうか?
答えは私の胃の中です。
知りたい人はダイブしてみてください。

ダイブといえば。
スロウダイヴを聴いている。
スロウダイヴを聴いて調べて知ったのだが、最近俺の好きな、たとえば少女スキップや今回のスロウダイヴなどが、シューゲイザーというジャンルらしい。
俺は、聴いて、調べて、知って、思いました。
「またひとつ世界が分かりやすくなったわい」
しかしながらそれは、全方向に良(りょう)なのだろうか。でしょうか。そこには疑問が残ります。
名前が付くということは世界に境界ができるということです。
そして"名前が付く"を個人に翻れば、名前を知るということになるでしょう。
混沌とした世界が絶対の正ともいいませんが、境界が全てに引かれていることもまた、もしかするとろくなもんじゃないのではないでしょうか。

ところで。
もういつだったか忘れたがそれでも六月。
ロメロの「死霊のえじき」を観た。
つらいバイト先みたいな話でしんどかった。
サントラがめっちゃ良かった。アップルミュージックで聴いてます。
帰り道の薬局で聴きました。
薬局でハンドソープ探しました。

ロメロはゾンビのことを本当に考えてるんだなと感動したが、後日知識くんにそれを伝えたら「ロメロは別にゾンビが好きだったからゾンビ映画を作ったのではなく、それが金になるから作ったんですよ」と言われ、マジ!?と思った。なのならやはり、俺の舌は信用がならない。
6月から離れてもはやバブ、ローズ、サラしか名前を覚えていない。ローズって薔薇のことでしょうか、綴りは。名前、3人しか覚えてない。あとはもう蒸発するように忘れた。

"名前ってなに?
薔薇と呼ばれている花を別の名前で呼んでも
美しい香りはそのまま"

サラは食器、バブは入浴剤である。

薔薇といえば柴田聡子「ばら」を聴いていると「静かに煮立って毎日は蒸発していつしか消えて」という歌詞が心に浸透した。

俺の毎日もまた、静かに煮立って蒸発していつしか消えていく。鍋にはうどんかそばが残っている。食べる。



7月18日

現実感の伴わない「死にて〜」は、あると思う。
それは「死にたい」でも「死にてぇ」でもない。音と字面がどこか気の抜けた「死にて〜」である。
我が心の師によれば、信仰とは自分の現実感をどこに置くかということであるけども、誰かが亡くなると、「死ぬ」という言葉への意味的な比重が、本質的なレベルを超過して過剰に意識されるように思う。信仰性が増すということです。
そのメカニズムというかプロセスはめちゃくちゃ分かるし、たとえば近しい人の死の場合であれば、死という現象が体感として大きくなるのは自然と思う。おれが怖いのは、今回のような訃報、集団全体に蔓延するような不幸な出来事(それはおそらく体感としては抽象的な不幸)が起きた時である。
偲ぶことや悲しむことを否定・非難しているのではない。ダバール(言葉=対象物そのもの)を意識しろ!という抑圧のムードがしんどいのだ。内側からも聞こえるその声の大きさが苦しいのだ。

勘違いしてほしくないけど、「死にて〜」と、簡単に言ってはいけなくなる状況が「嫌」なのではない。それは適切ではない。ある意味では正常だとすら思う。「しんどい」のだ。
好きこのんで言いたいわけがない。そもそも「死にて〜」なんて能動的に言いたい言葉ではない。
だけれども、四面楚歌な状況下で、にっちもさっちもいかない場面において、ふっと「死にて〜」と呟くことは、あるじゃないですか。
それは皮肉にも、無意識下で自分を維持するための行動だと思う。
集団に不幸が蔓延する訃報は、その、ある種エントロピーを下げるための行動を理性によって禁止してしまう。集団圧力が執行されるよりも前に自制してしまう。
偲ぶということは社会において本当に大切なことだと思う。だけど、あなたが無関係に感じている苦しさは、「無関係なしんどさ」であり、たとえばひとりで苦しい部屋でいたずらに無視や自制をする必要はないと思う。
とりとめもなく書いてしまったけど、考えすぎじゃない?余計なお世話じゃない?と思われるならむしろ本懐です。さりとて本当にしょんぼりしてしまいますね……


7月26日
誕生日だけど別に何も予定なく、かといってだらだら過ごすのもさすがにヤダなと思い「アングスト」をひとりで観に行く。
ソーセージ食べたくなって(そういう映画だから)、タイムスでホットドックを食べながら「夢なら醒めて……」を観ていると杉浦が来てくれた。稽古終わりでほこてんも来てくれた。ありがとうございます。
お祝いメッセージをくれた方々もありがとうございます。
もはや自分ではめでたい気分になれない誕生日を、周りの人が代わりに祝ってくれると、申し訳ないような気持ちもありつつ、それでも嬉しいものですな。


9月全日
図書館に行って寺村輝夫と野田秀樹を借りて読んだ。
ということを、Hさんに話したら笑ってくれた。俺がメモ帳に適当に描いたまんがも読んでくれてて面白かったと言ってくれた。こうやって私が褒めることがしぶやさんを引き裂いてしまうのかもしれませんねと言っていたが、褒められなくても引き裂かれているので笑ってくれたら嬉しいですと伝えるとまた笑ってくれ、俺はその時間だけでも心が朗らかになった。
とにかくもうなにをどうあがいてもダメっぽかった。混迷迷走迷惑の9月であった。りったんとかは優しかった。
手首のためらい傷がジグザグになっていたらそれは精神のほつれ。手首のためらい傷は致命傷に平行になっているものらしい。
自殺カッコ悪い。いじめもカッコ悪い。自慢もカッコ悪い。


10月1日
車に乗って色んなところに行く。実りがあったし楽しかった。ミロまた行きたいな。
帰りしな、久しぶりに春日亭に行った。
──以上のこととはおそらく関係ないが、家帰ったらめちゃ気持ち悪くなって唸ってたらミニゲロ吐いちゃってびっくりしちゃった。

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