20130117
いっさいは過ぎてゆきます
おばあちゃんが演歌の番組を見ていて楽しそうでそれを眺めていたら平凡のことを考えた。テーブルのはす向かいでオレはずっと台本とか文集のための文章とか書いたりたまに就活サイトを覗いたりYouTubeでメレンゲの気持ちとか眺めていて、いっさいの情報は目と耳から入って脳ミソに溶けて蒸発し続けている。意識的に生きるなんてことは難しい、難しい、難しい。おばあちゃんが演歌の番組を見ていて楽しそう。意識的に生きることは難しいけど、それはそういうものだし何でもかんでも意識的に生きて知らない言葉をモゾモゾと喚いてどっか消えちゃった人のことをオレは知ってる。無意識の中に平凡はあって平凡は無意識でその多くができている。ような気になっているのはぼんやり生きているオレの自己弁護なのかねえ。
おばあちゃんが少女みたいに肘を立てている。とてもかわいい。そう思う。これは意識的と気づいた。
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