20180929

おじいちゃん



おじいちゃんが死んでしまった。
おばあちゃんが急逝して、一年経たなかった。

おじいちゃんはずっと体が悪くて、2、3日前にいよいよらしいという連絡が入ってたから、ピンピンコロリだったおばあちゃんとはまた違う気持ちでいるけど、変わらない感覚もある。

おれは昨日からずっと不思議な眠気が続いていて、それは連日追い込みでやっていた映画の編集のせいもあるかもしれないけど、それにしても強い眠気だった。
だからか今日昼過ぎに仕事からアパートに帰ってきて、倒れるように寝た。
家族からのメールが入らないことを祈ったし、"その瞬間"を遅延させたかったというのも確実にあった。
寝て、目覚めて、時計を見たら2時間くらい経っていて、見たくなかったけど"連絡が来ていない確認をして安心する"ために携帯を恐る恐る開いたら訃報が届いていた。
まだまどろんでいたから、そのまま寝た。
“亡くなりました"という文字列が去年の10月17日をフラッシュバックさせるけどそんなの要らんのよ。すぐに眠りに落ちれた。
再び目覚めたら更に2時間くらい経っていた。おれは夢で見た訃報の連絡を思い出して、思い詰めてるな、自分。縁起でもないぞ、自分。と かなり能動的に思った。
携帯を開くと今後の予定の連絡が入っていた。納骨、通夜、告別式。訃報は当たり前に夢じゃなかった。
全然そんな気分ではなかったけど無理矢理アイドルの水着の動画を観て、そのアイドルが北海道でスロットをするだけの動画も観た。30分もあった。スロットなんておれは一度もやったことないし興味もないしルール?システム?も分からない。かわいいなと思った。
ここ最近は編集詰で2日くらい風呂に入れてなかったので銭湯に行った。
銭湯に行く頃にはもう現実をはっきり分かっていた。湯船の中ではおじいちゃんのことを考えていた。
おじいちゃんが一番最初に体を壊した日のことをおれは覚えている。
おれは中学二年生で、あの日はまだ部活に出ていて、練習中に家からおじいちゃんが倒れたと電話が来て飛んで帰った。
あの日がおれがはじめて"死ぬ"ということを思った日だ。
結局おじいちゃんは大丈夫だったけど、麻痺だかなんだかで足が悪くなって杖をつくようになり、布団は介護ベッドになり、次第に杖は二本になり、車椅子になり、一日中 茶の間にいるようになった。
おばあちゃんがずっとそばにいた。
おじいちゃんは寡黙な男だったけどおばあちゃんにだけはワガママを言えていた。
いつだったか、おじいちゃんがうまく立ち上がれないことに癇癪を起こして「おらもう死んじまいてぇ」とベソをかいておばあちゃんに「また」と叱られたとき、すごくキツかった。死んじまいてぇなんて、よく考えれば誰もが言ってるフレーズなんだけど、でもダメだった。本当にキツかったしずっと忘れられないでいた。
一昨年の暮れくらいだったか、体調は更に悪くなり、入退院をするようになり、老人ホームに泊まることも増えた。
それでも家にいる時は茶の間にいつもいて、おばあちゃんとテレビをじっと観ていた。おじいちゃんにはおばあちゃんしか、勝手に振舞える人がいなかった。
そんなおばあちゃんが突然死んでしまって、告別式にも体調の都合で出られなかった。喪主を行えないことにすごく怒っていた。当たり前だ。だけど、どうしようもなかった。それも分かっていたんだと思う。

おばあちゃんが死んで、しばらくは娘のお母さんがおばあちゃんの代わりをしていたが、おじいちゃんは結局老人ホームに入った。
家族はたまに会いに行っていたが、おれは全然行けなかった。逃げていると思った。
おれと同じように、おばあちゃんを亡くしたことのしんどさを根底ではなく表層の段階ですらいつまでも克服できない人だと思ったからかなと今となっては思う。そんな込み入ったこと言わずとも、単純に衰弱していくおじいちゃんを見るのが嫌だったというのもある。

それでもおばあちゃんが死んでからは結局二度、おじいちゃんに会いに行った。
一度は5月の末に老人ホームに、二度目は夏の終わりに病院に。

老人ホームに行った時はお昼時で、大きなテーブルに他のおじいさんおばあさんたちとご飯を食べていたが、おじいちゃんだけ一人ぼっちでご飯を食べていた。
壁にはホームで行われたクリスマス会の写真が貼ってあった。おじいちゃんが無表情にサンタ帽を被せられている写真があった。それを見たら泣きそうになってしまった。ずっと黙ってゆっくりゆっくりご飯を食べるおじいちゃんのご飯は離乳食のようで色が薄い。こんなもの食べたくなかろう。こんなところにいたくなかろう。
家長なのにという思いもあるだろう。
しんどかった。

二度目はかなり体が悪くなっていた。
おじいちゃんは病院で体に管を繋がれていた。かなり痩せてしまっていた。
でも、なんでか、ホームの時より穏やかに見えた。なんでかは分からない。そう見えた。
病室の窓は大きくて、高い建物がないからか、夏の終わりなのに冬みたいな低い空がずっと遠くまで広がっていた。
おばあちゃんに呼ばれてもついて行っちゃダメだぞとおれとお母さんはおじいちゃんに言った。おじいちゃんは力なく笑った。
また来るからねと病室を出る時、おじいちゃんが「けいちゃん」と、ゆっくり手を振った。めちゃくちゃに泣いてしまったよ。
なんでかはわからないけど。去年の10月以来だった。

銭湯から出て、コンビニで豆腐を一丁買って、家で食べようとしていたらお母さんから電話が来た。
おれが返信してなかったからだ。
連絡事項も確認しつつ、お母さんと少しだけ話した。
おじいちゃんが亡くなったことを、おれもお母さんも、きっと他の家族たちも、100パーセント悲しいばっかりとは捉えていない。それは覚悟ができていたということではなく。
おそらく今、おじいちゃんの遺体は家に戻ってきているだろう。
やっと帰ってこれたのだ。やっと自分の家に。
おかえりなさい。おつかれさま。大変だったね。長かったね。
逝ってしまったのにおかえりなさいというのも変な話だね。

おれは思い出す。
小学生の時分、最寄りの駅までトラックで送ってくれる日のこと。
駅のロータリーを旋回する白いトラックから、去り際、手を振っていたおじいちゃんの姿。

またおばあちゃんにも逢えるね。
また二人で相撲中継を観れるね。