恋はもうもく、突然周りが見えなくなって、突然周りが見えることもある。それが恋の終わりなの。今より少し前の私はもっと周りに非寛容で、好きなものより嫌いなものの明瞭度を上げることで自分の輪郭を定めていた。ずっとずっと好きだった人や、十年先も頻度の落ちずに交遊するだろうと思っていた友人たち、そういう宝石みたいな人間関係を突然終了する時が私にはままあって、それを“シャッターを閉じる”なんて言い方してた。遭遇の頻度や一緒にいる時間の長さで親愛は測られるものではないから、忙しくなったりやなんやらで会うこと連絡を取ることの減った人のすべてが私のシャッターを下ろした対象なんてことはもちろんない。むしろ、好きな人っていうのはさ、てきとうでいいと思う。ブームみたいな潮流はあるが、それが落ち着いたからって貴方に興味がなくなったわけじゃない。半年に一回だけ会う親友もいる。三年会ってない好きな人だっている。だからと無関心とは早計だという。
周りの人から「優しい人ですね」「いつでも落ち着いている人ですね」と言ってもらえることが増えてきた。その都度ちくって後ろめたさの針を刺す私の本質とは優しくもなく落ち着いてもいないのだけど、そのようでありたいという強い意志を持って生きている。何人か「こういう風に他人に接したい」という憧れを抱くロールモデルの先達がいて、たとえば養老先生だとか。定期的に養老先生の書くこと話すことを目にし耳にし、それを中間試験のように自分の成績と照らし合わせる。なかなかああはなれないものだがそれでも克己する。
ところで私が誰かに(それは性別を問わずに)ときめいている・恋をしている状態というのを目の当たりにした人は意外と少ないんじゃないのかという話を友人にしたら「割と見るよ」と返されたが、それこそフェイク、私はなかなか誰かにときめかない・恋をしない。年齢もあって心が不全ぎみ。恋をするというのは心を開くというのとは違う。心を開くというのは相手の目の前で突然寝っ転がって「チーもう寝るれち!」と叫ぶことなので、それを見たなら貴方に心の中の十枚扉のうち五枚くらいまでは開いている。
恋とは。ここからが本題。
夏がおそらくもう完全に終わって秋風が夏の名残の湿度に乗って窓から吹くからエアコンにお疲れ様を告げた。電気代が少しは楽になるはずだぜと一息、毎日毎日浮かんでは消える希釈された希死念慮だけはそれでも堪えて口に出さず態度に見せず、インスタグラムを開いたら、おスズのストーリーズ投稿が目に、いや脳味噌に直接、文字通り飛び込んできたんだ。まだ見ていない人は本当に見た方がいい。ストーリーズ投稿って24時間で消えてしまうんだから。夢みたいだね。
明日9月9日21時53分で消滅してしまうよ。今すぐインスタグラムをダウンロードして、airi_suzumura_naxのページにアクセスして、アイコンを押すんだ。急ぐんだ。
あなたの脳みそが受像するのはこんなジェイペグだ。
制服?を着たおスズが直立不動をして、右手に持った白い貝で自分の右目を隠している写真。左目と口元から窺い知れる表情は、いつもながらにどこか不安げで、はっきり笑顔とまでは言えないのだけど、それでも笑っているように見える。背景には空と海と堤防。小さく灯台のようなものもある。波が光を反射してきらきらと光っているよ。そういう一瞬が静止して、永遠のように固定されている。しかしそれもたった数秒だけの許された時間だ。
一瞬かつ永遠、そんな光景に草野マサムネの声がこんなふうに響く。
“君が思い出になる前にもう一度笑ってみせて“
完璧でしょうと言わざるを得ない。こんな瞬間だけは、映画も小説も敵わないんじゃないかとへこたれそうになる。たった数秒で恋はたちまち僕らの心に屹立し発光する。逆輸入的に僕らの胸には“心”ってのが確かにあること、“恋”ってのが光る代物なんだと認識できる。それらは目に見えず耳に聞こえないが、確実にある。このドキドキだけがいつだって現在なんだぜ。
それでさ、心の確認・恋の発光の観測っていうのはいつもたった一人の時に訪れるんだ。例えばデートをしている時だって、目の前に誰かがいる時に恋なんて現象は起きないんだ。その帰り道、緊張して思うより呑んじゃって転んでしまうアスファルトの上とか、人影まばらな電車の車内灯で窓に反射する自分の顔、その影の部分に窓外の夜街光が流れている時とか、そういう時間だけに恋は発光するのだ。
今日の僕は520円で買える安価の不安に火をつける遊びを真っ暗な部屋でやってて恋の発光を見た。
僕のアパートの不便なトイレに後ろ向きで立てかけられてある額縁をひっくり返したことはあるかい。何人かはみた事あるだろうが。そこには、僕がかつて自分の気ままに編集した映画のポスターがあるのさ。それは投函しないから届かない手紙なんだ。恥ずかしくはないけどまあ配慮からひっくり返してある。今度見てみればいい。その映画のタイトルは「世界でいちばんすてきなあなた」という。
自分の立場や未来のことを省みて、女優さんとかテレビタレントさんとかを大っぴらにインターネット上で「ガチ好き」って言うのは、自分ルールでしないようにしている。モーニング娘。の皆さんへの気持ちは須く尊敬なのでアリ。そして、おスズはアリなんだ。なぜかというとお互いの職種的にこれから死ぬまで絶対に一度も逢えない僕らだから。夢みたいだねとさっき書いた。絶対に会えないだろう。どう考えてみても。叶わないとわかってるから秘めずにいられる想いもある。
閑話休題。今日の僕は520円で買える安価の不安に火をつける遊びを真っ暗な部屋でやってて恋の発光を見た。
おスズのジェイペグ、あの姿は、彼女に一度も出逢えずに死ぬ僕が幻視した、一度も出逢わなかったはずの彼女と過ごした景色。まるで線香。青雲、俺がみた光。
ドキドキだけがいつだって現在とさっき書いた。このドキドキは明日の21時53分には消えるだろう。醒めるように。忘れるように。現在っていう時間が今度こそ本当に思い出になる。おスズの笑顔未満の表情は、それゆえに文字にして表現できなくなってしまう。
だからその前に。笑ってみせて。もう一度。右目を隠したあの顔で。そういうことなんだ。
「キモ」そんな言葉で一笑にふすのも勝手だけど、誰かの気持ちや感動をあざけるのは、自分が感動した時だって所詮は程度の低いものって自分で証明することになってしまうぜ。