大切な人が、もう元気じゃなくて、おそらくもう元気になることはない。その報せを最初に知った時から現在に至るまで、どうしたらいいのか分からなくて今も分からない。
俺なんてのは世間から見たらどうしょもないはずなんだが、お会いするたびに毎回ものすごく褒めてくれ、お菓子を沢山くれた。
立派だね/えらいね/素晴らしいね、そういう言葉だけを頂いてきた。
去年の金沢で、それで結局何かが変わることにはならなかったけど、それでも少しだけ映画のことを世間に認めてもらえた時、授賞式の写真を見て泣いてくれたらしい。喜んでくれた人は沢山いたけれど、泣いてくれたのはひとりだけだった。
たとえ叶わない祈りだとしても、「元気になってほしい」と祈り続ける。いつか言おうと思って言えてないことがある。
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以上の文章を書いたのが火曜日の夜で、しかしこれを書くこと自体が逆説的に何かを諦めているような印象を自分自身に持ちうる感じがして下書きに残したもののそのままにしていた。
それで今日の午頃に、亡くなりましたと連絡があった。ややあってお葬式の日程に併せて
「澁谷くん澁谷くんといつも言っていたから、お別れに来てくれたらきっと喜ぶよ」とあった。
だいたいにして他人の評価を世辞と疑う傾向にある私であるのだけど、これはきっと本当のことだ。お会いした時も、私のいない場でも、気にかけて名前を出してそしておそらく褒めてくれていた。
誰かが亡くなったときにそれを契機にして思い出を美化するのは好きじゃないけど、思い出せる出来事のすべてにおいて私は励まされている。私の母親と同じ名前だったから、勝手ながらお母さんのように慕っています。今も。
言わなきゃなと思いながらもあぐねていた言葉を、私は結局間に合わせられなかった。ともなって哀惜と感謝の想いばかりがある。
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