20200828

夢(石井さんとのソーシャルディスタンス)

 石井に会う。

「石井は、卒業したらどういう仕事をするの?」と俺が尋ねると石井は俯き恥ずかしそうに「げ芸能関係」と呟いた。

ゲーー!向いてないよ!おまえは俺史が初めて捉えたガチオタクじゃねぇかよ。授業中に手なんか挙げないし、あてられたってぇ声がちっせぇじゃねぇかよ!おまえ、芸能界って、声がでかいやつが勝つんだぜ、声がでかいやつしかいないんだぜ!!と俺は思ったけど石井の横顔にそんなこと言わない。


 そこで画面の外から誰かが「トモ〜」と石井を呼んだ。

 うちの学年に「石井」は2人いて、俺はもう片っぽのことも「トモ」のことも「石井」と呼んでいて、俺は石井のことを考えるとき頭の中ではいつも「知美知美よ」と呼んでいたのに、最後に会った時も昨晩も、結局石井と呼んでいて、俺の人生における後悔とはこういうとこの踏み出せなさであるね。夢の中の時制は会話から察するに2013年。俺のソーシャルディスタンスは距離にして7年もあるのだ。


──というようなことを7年と13時間経ってもなお、未だ落ち込み考えているが、7年前も10年前も17年前も20年前も石井のことが好きだった俺は、2017107年後にもう何もかも憶えていないですよ。思い出は宝箱を開ければとわにきらきらですね。

20200827

萌えの海石(幻視一歩手前)

 かつて栗又が「NEWSのライブに行って泣くのだが、それはライブそのものに感動するというより、バックダンサーのジュニアたちの中に将来の息子を幻視し、その頑張る姿に泣いているのだ」と言っていて、その時はなんじゃそりゃと笑っていたのだけどモーニング15期3人のパフォーマンスを観ている時の、やり場のない種類の萌えの海石、これはなんなんだろうと考えているときに栗又の話を思い出した。
 もしかすると、15期を観ている時の私たちの在り方というのは、栗又がNEWSライブに泣いている状態の一段階前なのかもしれない。
 というか、幻視まで行ってないから1段階前としたけど栗又の幻視は未来に開かれているのに対し、俺は15期にだらだらと過ごした過去の自分の時間もしくは"きっと生まれてこない"自分の将来の子供の元気な姿のいずれかを感じてそれらの代替としているのかもしれない。とすれば栗又の方がよほど健全だ…。

 「青い春」で木村が一年生に学ランをあげて「絶対甲子園行けよ。行って取り戻してこい。」「なにをでありますか?」っていう荒川が初見でやべ〜つって10回くらい巻き戻してたシーンがあって、書いてたらそれを思い出したのだが、俺は木村のようですらないのに思い出してしまって木村に悪いな。